「紅の豚」感想文:飛ぶ豚が、海抜より低い場所で人間に戻るまで

スタジオジブリのアニメ映画「紅の豚」の感想文、レビューです。この映画は上映当時、新宿の映画館で鑑賞しとても面白かった記憶があります。今でもテレビで放送が繰り返され、誰からも愛される名作と言えますね。ここで、僕なりの感想文を綴りました。

「紅の豚」のあらすじ

婚約するたびに相手を戦死され、そのジンクスに恐れ、身を寄せたい豚に対し「友人」を越えられない、 シャンソン嗜むホテル支配人のジーナ。一方、そのジレンマに一つも気付かず、戦死したジーナの婚約者との友情を大切にするあまり、彼女に惹かれる気持ちをタブー化、一生を喪に服すように生きるが世間には道徳心薄い飛行艇乗りの豚、ポルコロッソ

まるで「賢者の贈り物」のようにすれ違いながら寄り添う2人に割り込むのが、若き設計士フィオと、キザな賞金稼ぎだが、この二人もどたばたな因縁で不意の縁を結びそうになる。それを食いとめようとする主人公の豚だが、なぜ止めてるのだろうと不満げ、だがまんざら悪くもない。それどころか、その決闘で自らが持つ矛盾や行動モチベーションすべてを一度に総決算してみせる。それは、フィオの望まない婚約解消はもちろん、借金返済、不意打ち決闘のリベンジ、ジーナに求婚したカーチスへ復讐、戦争ではない飛行艇乗りの美学を貫き、今も天空を彷徨う魂を弔うこと−−

紅の豚

しかし、このすべての動機がひとつに詰まった大フィナーレだったが、夢中で戦っているうちに、あれだけ頑なだった「飛ぶ豚」のポリシーをいつの間にか捨て、空はおろか、海抜より低い場所で拳で殴りあっているという…。その結果、醜いがもっとも人間らしい素の自分を振り返り、自ら縛っていたトラウマから解放され、ジーナと結ばるという見るたびに発見がある、前期の子供向きジブリでありながら後期の大人向きジブリテイストたっぷりの傑作アニメだ。

紅の豚
ポルコロッソのアジトの舞台と言われている「ギリシャ・ナヴァイオビーチ」。船の墓場とも楽園ともとれる情景がイマジネーションをくすぐり、「紅の豚」中盤の「飛行艇の墓場」のヒントにもなったのだろうか。

最期まで語られない多くの謎

このアニメには後期ジブリにありがちな、最後まで語られない謎を数多く含んでいる。まとめると書き図表の通り。

解釈
ポルコはなぜ豚になり、その魔法とは何か?おそらく、人間である自分は戦友と共に死んだ、と自分でかけた自己暗示思い込み。この変身で人間と関わらず、ジーナとも結婚できないことを暗示。彼女を悲しめない自分に安心している。が、それは現実に向き合わず逃げているのだが本人は満足。フィオに出会うまでは。
ポルコはなぜ政府に追われているのか?豚だから追われているようだが、フェラーリンの説明だとそうでもない。国家は豚のような生き方を奨励しないどころか、思想犯、悪人の標本として晒そうと目論んでいる。多種多様な人種や文化を受け入れない偏狭な時代の到来を予感させている?
気絶したポルコが雲の上でみた臨死体験(ひこうき雲)は何だったのか?飛行への情熱と反戦的なメッセージ?アニメが始まる前のタイプライターシーンと共通して、人種・文化を超えた平和的な暗号を感じ、自然に心に溶け込み説教くさくないところがいい。
フィオの何がポルコに影響したのか?フォオの言う通り「空と海が飛行艇のりの心を洗うから」か。ジーナに対してはポリシーを貫く豚も、フィオの前ではポリシーに縛られた自分を次第に解かれているように見える。人生哲学でガチガチになった豚を破天荒な行動で次第にほぐされていった。おそらく恋愛感情もあるのだろうが、歳の差から自制している。
カーチスは俳優になり、どうなったのか?決闘の後のセリフから、カーチスにも心の変化がある。俳優の夢を実現したあとも、フィオに手紙が届いているし「正式に申し込む」との最後のセリフが暗示していることは、まさか…。
紅の豚
ポリシーは自分だけでなく人間みなが持っている。それに豚が気づかれるシーン。ジーナに対してはポリシーを貫く豚も、フィオの前ではポリシーに縛られた自分を次第に解かれていく自分に気づいていく点が、ストーリー展開のもう一つの見どころ。ドグマから解放された豚は最後にやっと人間にもどる。

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「紅の豚」名セリフ一覧

紅の豚
セリフ感想
飛ばねえ豚はただの豚だ「豚」という言葉に、中年、男、非凡、おそらく人によっていろんな意味を感じ取れる。つまり豚とは自分自身に聞こえる。
仲間はずれを作っちゃかわいそうじゃねぇか!空賊マンマユート団のボスのセリフ。なるほど、飛行艇が好きで戦争向きではない少年のような大人、って性格が、オープニングの一言でガラリとアニメ全体の空気を決定づけている。もしかして空賊たちは、生活のために空のギャングをしているんじゃなくて、空を飛ぶためにギャングしているんじゃないかと。この場面で面白いのは、いつも子供が主人公であるジブリ作品のなかで、「紅の豚」はただ一つ中年男性が主人公で、話の全般をオヤジが占めている珍しいアニメだ。そこで唯一ちいさな子供が登場するこのシーンだが、「おしっこ?そのへんでしなさい」と、コミュニケーションが通じにくい不条理な存在として子供が描かれているところが、宮崎駿からみたもう一つの子供への視点を見ているようでユニーク。
女がなんだ!世界の半分は女だ!確かにそうだが、まるで世界の半分が自分の候補になりうるほどモテるニュアンスが含まれているし、この歳までフラれ続けている自分への苛立ちも感じ取れて、くすっとなる名セリフ。
飛行艇乗りは船乗りよりも勇敢で、丘の飛行機乗りよりも誇り高いんだって!彼らの一番大事な物はカネでも女でもない名誉だって。政府から豚扱いされているのはポルコだけではなく、自由に空を飛び回っている空賊も世間から取り残され、徴兵拒否で非国民視、偏見視されていることだろう。救いのない彼らをこの熱いアジテーションで、「フィオ団」ができてしまう空気になりそうなほど一変させてしまった。一方、アジ一つで群衆心理を逆戻りさせてしまうという、どこか独裁者の登場する時代を予感させて豚の笑いも歪む興味深い一場面。
きれい…
世界って本当にきれい
続いてポルコが言う「お前が言うと違って聞こえる」とセットかもしれない。「違って」ということはポルコにとっては世界はきれいとも、信じる、とも言えない場所。世界がきれい、だなんて絶対受け入れられない言葉だが、フィオが言うと真実に聞こえ、ポルコの心の中で何か変化していることを証拠付けている。
意地も見栄も無い人間なんて最低よ。堂々と対決しなさい。見栄は男の悪い点だと思っていたが、フィオがいうと違って聞こえる。
婆ちゃん、まだお迎えがこないのか?おそらく旦那は戦死しているので、そろそろ天国で旦那に会いに行きたいが、大きくなる孫にお小遣いをあげたいと長生きするおばあさん向けて言った豚のセリフ。ピッコロのいう「女はいいぞ。よく働くし、粘り強いしなあ」にもある通り、このアニメの女性たちは集団で戦争を乗り越えている点で、一人できれいな俺哲学を守るポルコとは対照的。
ここではあなたのお国より、人生がもうちょっと複雑なの暗に「あなたは単純」と言っている。きれいな人がいたら口説く。ライバルがいたら撃ち落とす。そんな人が俳優や大統領になる動機を、名声のため、と訴える。無邪気な男の子っぽくて愛嬌のある夢だが、フランス映画の恋愛ように入り組んだこの映画の駆け引きの前では、軽薄なことこの上ない。

「紅の豚」の主人公、MarcoのMは?

そして最後に。
マルコ」は人間時代の旧名で「ポルコ」が豚時代の名前ですよね。
PorcoがポークのPだとしたら、MarcoMは?
やっぱり作者でしょうか?
このアニメに自伝のような空気が漂っていませんか?。
飛行機雲のに向かうたくさんの国旗マークに日本がない。イタリアとナチスドイツの同盟国だった日本。東西冷戦のなか、日米同盟で翻弄されつつ、何か宿命を背負う道を選んだ作者。そんな、のちのジブリアニメ「風立ちぬ」を出した宮崎駿監督本人のアイデンティティー確立までの葛藤を描いている映画だと感じました。

石原裕次郎主演映画「紅の翼」との共通点

1958年の日本映画で「紅の翼」という映画がある。石原裕次郎主演のアクション映画だが、この物語のなかで「」の意味を探しても飛行機の翼の色以外に特に言及はない。映画に登場する「紅の翼」とは、主人公のパイロット石田(石原裕次郎)が乗る「日本遊覧飛行」運営の赤い翼のセスナ機。「紅の翼」そして「紅の豚」の「紅」とは日本や日の丸のことではないだろうか。石原裕次郎、宮崎駿、そして国民らが願っている理想としての日本。

石田の妹が兄の性格を感情的に語る印象深いシーンがある。そのセリフは以下の通りだ。

兄はそんな人じゃありません。
そんな小さな私事で仕事をどうこうする人じゃないんです。
小さい時から、ひと一倍正義感や同情心が強く、人の不幸を黙って見ることができない人なんです。
私には兄の気持ちが一番よくわかっています。
遠い島の、可哀想な子供の命を救うために、崇高な目的のために気高い気持ちで飛び立った。
思いあがらないでください。

まるでマンマユートを論破したフィオの演説を連想させる場が静まるシーン。若く正義感溢れる宮崎駿はこのシーンを見てジーンときたのだろうか。
」とはきっと、主人公の正義感を表していると受け取るのが自然だろう。そして「」とは若さ、正義感、石原裕次郎、そして日本がそうなってほしいとの宮崎自身の願いだったのかもしれない。

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(このレビューは2005年04月29日にmixiの「紅の豚」コミュニティに投稿した文を訂正して再掲したものです)

この記事を書いた人

mojigumi

「もじぐみ」の代表、コウです。
専門は企画・出版・編集・印刷、Webデザインと管理。最近はブログ、動画、3DCG、AR、LINEスタンプ等のコンテンツ配信にも力をいれ、自分自身もランニングアートでコンテンツ化に努めています。